近所のスーパーの花壇です。
KOのフェノタイプは信用できない!?

KOの結果から、たいした機能を持っていない遺伝子がたくさんあることが分かったというとほとんどの人が反論するかあるいは黙って右から左に聞き流してしまいます。これはおそらく「生命はムダなものを削ぎ落とした存在なので不要な遺伝子など存在するはずがない」という固定観念(ミーム)をもっているからではないかと思います。私の考え方は説は「ムダがない」説とは相容れないのでミーム同士の爭いが起こるのは必然の成り行きです。「ムダがない」説の信者(以下「抵抗勢力」と略します)はKOの結果を丸のみにして騙されてはいけないといいます。このあたりを考察してみたいと思います。下記の文章にはいろんな異論、反論、反証事例などもあるかと思います。それを教えていただけると大変ハッピーです!


必須遺伝子と重要遺伝子は別物!?

抵抗勢力はKOでフェノタイプが出ないことにどうしても納得がいかないのだと思います。それで抗体やモルフォリーノを野生型に加えた時に観察されるフェノタイプのほうを重要視します。抗体やモルフォリーノを使うと遺伝子発現が代償的に補われることがないのでより正しく遺伝子の働きを推定できるというのがその理由です。しかしKOマウスにフェノタイプがほとんどみられなければその遺伝子は必須遺伝子とは言えないのは明らかです。ここまでは議論の余地はないと思います。話が噛み合わなくなるのは「必須遺伝子ではなくても重要遺伝子として存在し得る」と主張するからです。抵抗勢力は「必須性」を調べても意味がないと考えているようです。しかし、なくなってもかまわないが、なくならないときには非常に重要な働きをしているという主張はちょっと苦しいものがあると思います。そのうえKOマウスの系では「非必須遺伝子」あるいは「準非必須遺伝子」に属するものが8割にも達しているのです。それらのすべてに必須ではないが重要な働きをしているという図式があてはまるのはありえそうにないというのが私の考えです。


環境特異的な必須遺伝子??

抵抗勢力はさらに動物実験施設内の満ち足りた環境ではある遺伝子が「非必須」に見えても野生あるいは特殊な環境下では「必須」であるに違いない!と言うのですが、そういう証拠や具体例は無いと思います*。遺伝子は「必須」でなくてはならないというミームがそう言わせているのでしょう。しかし特殊な環境下でその因子が必須の役割を果たすのであれば、KO以前に集めたその因子の働きに関するデータはいったい何だったんでしょう?研究は「特殊な環境における」と銘打たないかぎりできるだけ一般的な条件でgeneralityのある結論が導かれるように設定されるはずです。重要な因子であるという論文を出した時に「特殊な環境における」ということを謳わずに、「KOでは非必須」と判定を受けたあとで「特殊な環境」では別と主張するのは無理があるのではないでしょうか?それにEmergencyに備えて8割もの遺伝子を準備しているというのもありえないとはいいませんが、本末転倒で非効率であり生命が採用しているシステムにはなりにくいと思います。

 

最近、具体例と言えるかもしれない例が報告されたのを見つけました。Tbx6という遺伝子です。すこし込み入った内容なので評価が定まるまでに時間がかかるかもしれませんが、、、


体の仕組みの概念図

私が生命に対して持っているイメージは下図のEscherの描いた絵(上段中央)のように空白のない状態でいろいろな因子がひしめき合って存在しているというものです。実際にはこの絵よりももっともっと複雑なからみ合いで釣り合いが取られているのだと思います。この絵は個体を形成する様々な細胞群と見ることもできますし、細胞の中に存在するいろいろな因子の絡み合いというふうにも見ることができます。この釣り合いにはゆらぎがあり、各因子が大きかったり小さかったり、すこし形が違ったりしますが、それは隣り合う因子が少し形や大きさを変えることで全体がぎっしりと詰まった平面を維持することができます。こういったゆらぎが同種内の個体差であったり、あるいは種差などにつながっていると思うのです。もちろんこれは絵を比喩に使っているだけなのでどこまで正しいのかはわかりません。


この絵を使ってKOを考えてみましょう。何か因子をKOすると下段の左に示したようにその部分にポッカリと穴が空いたようになりますが、生体とはいろんな成分が空間のないようにお互いにひしめき合っている状態であると仮定すると、下段の中央のように関連因子群の形が変わって隙間を埋めるという構図になるように思います。従って図の中のお釈迦様をKOすれば、KOによってお釈迦様のいない世界を論ずることはできてもお釈迦様が実際にどのような働きをしているのかを論じることはできないという抵抗勢力からの批判は傾聴に値すると思います。


しかしKOマウスは野生型と異なるという主張をするのであれば抗体やモルフォリーノを投与した個体も野生型とは異なっていることになります。何かが投与されることによって、そのピースをこのジグソーパズルの中に埋め込むには関連因子群の形に何らかの変化がないと収まらないからです。もっとはっきり言えば、抗体やモルフォリーノを投与して見ているフェノタイプはそれらの薬理作用を見ているにすぎないという可能性もあります。KO動物は元のままではないからその結果を信用できないという論拠はそのままひるがえせば抗体やモルフォリーノによる実験にもあてはまることになると思います。


Power Lawには逆らえない

Zebrafishの世界ではKOとモルフォリーノのフェノタイプが極端に違うことがしばしば観察されるようです[1][2]。KOしてもフェノタイプが出ないが、Morpholinoだとフェノタイプが出るというegfl7遺伝子の場合を詳しく解析した結果、KOした場合にはtranscriptomeが変化してフェノタイプがでにくくなるようになっていると述べています。これに対してMorpholinoで抑制するとtranscriptomeが変わらないのでeglf7が不足した影響がもろにでるという説明だと思います。KOではフェノタイプが出ないのは代償作用によるものであるという主張です。[3]。その一方でXenopusではモルフォリーノが自然免疫の活性化を起こしたりするのでそれがKOでは見られないフェノタイプをもたらすのだという論文もあります[4]

[1]の論文を見てみるとKOとモルフォリーノのフェノタイプの違いが合計36の遺伝子について比較されています。KOとモルフォリーノの両方で似たフェノタイプが観察されたものはそのうちの8遺伝子(22%ですから約2割です)。その他の遺伝子についてはKOではフェノタイプが出ずモルフォリーノだけで影響が見られたとなっています。(KOだけでフェノタイプが見られるという例が示されていないのはおそらくそういう例は無いからでしょう。)KOしたもののきれいなフェノタイプ見えるものは2割しか無いというのはマウスのKOの結果とよく似ています。マウスとZebrafishのKOの結果が共通して示唆していることは遺伝子には重要な機能を持つものから大した機能しかもたないものまで幅広く分布しており、重要な機能を持つものほど数が少なく、大雑把にいうと2割の遺伝子で8割の機能を担っており、残り8割の遺伝子で2割程度の機能を担っているということではないでしょうか?多くの自然現象にあてはまるPower Lawとして知られる自然の摂理は遺伝子の働きにも適用できると思うのです。//










荒牧ローズガーデンで撮りました。